先週、アミューズメント関係の仕事で、久し振りに大阪に打ち合わせに行ってきた。
朝いちばんののぞみで新大阪に到着したんだけれど、改札口で倉本美津留くんに会った。
そういえば何年か前にも大阪に来ていた時に、守口市付近で京阪電車に乗ってきた彼と偶然会った事があった。
倉本くんも僕も今は東京で生活しているんだけど、大阪でばったり会うなんて、、、、、
人生には、何度か転機というものがあると思うんだけど、今から17年前の事だけど、、嫁さんと、東京に移ろうって決めた時も、そのひとつだった。
出会いがあれば、別れがある。
そんな17年前の春。
当時、倉本美津留くんも、僕も大阪に住んでいて、一緒に「リビドー」というバンドをやっていた。
恋人との別れもつらいけど、バンド仲間との別れもほんとにつらい。
もともと意気地なしの僕は最後まで大阪を出る事をいいだせなかった。
ごめんね、倉本くん、戸島くん、徳さん、池内くん、雨宮くん。
結局、「さよなら」も言えずに大阪を出てしまった。
今思うと我儘で考えなしで独りよがりだったね。
最後の練習の次の日、家財道具を2トントラックに詰め込んであびこ前の部屋を出た。
東京といっても、当時は職もなく、神奈川県の座間市に引っ越してきたんだけどね。
引越しが終わった夜、明け方に、倉本くんたちとバンド練習している夢を見た。
そして、確実に過ぎ去ってしまった事、もう戻れないんだって事をしみじみ実感した。
あれから17年。
最近、恵比寿、代官山あたりで、倉本くんのライブを見ることが出来た。
倉本くんの曲は、もう人事ではない、どこを切っても倉本くんの気持ちがいっぱい。
あの頃の曲も歌詞を変えてしっかり歌いつづけている。
倉本くんの歌の見える部分と、見えない、ずっと彼方に続いている音楽的背景の、コード進行の嗜好の根っこの部分が、やっぱり世代のせいか同系色なんだな。
今も目を瞑れば生駒山から続く、あの街の風景が浮かんでくる。
「えこひいき」はちゃんとスタジオ録音されたものだけど、ガイドクリックなんてくそ食らえっていう意気ごみの徳さんのためたスネアに涙がでそう、、、。
今更そんな事いったって卑怯だけど、羨ましい、僕の届かなかった世界がそこにある。
2007/02/17
えこひいき
17
2月