切なさの向こう側

8 2月

「今井美樹」さんの「切なさの向こう側」は大好きな曲。

「femme」というファーストアルバムの最後の曲である。

大阪府枚方市の須山町のバス停から延びている道の、正面突き当たりにまだ外国語大学があった頃のお話。

大学在学中から、卒業して暫くの間、須山町にある学生寮のようなアパートに住んでいた。

名前こそ「若草荘」と爽やかなんだけれども、8畳一間、トイレは共同、廊下や階段に木材やら使用前の便器だのが積まれている(大家さんが建設業なので、倉庫になっていた)といった、ハードボイルドな木造アパートだった。

アパートの裏手には、トップセンターという大きな市場があり、日曜日、昼過ぎに起きたあとに、店内の屋台でパックしてくれるできたての大盛り焼きそばを買いによく行ったものだった。

アパートには学生ばかりが住んでいたので、夜遅くまで音楽を鳴らしても平気で、僕は当時の稼ぎを全部つぎこんで、JBL4312スタジオモニタースピーカーや、Fostex A8 マルチトラックレコーダーというオープンリールのテープレコーダーを購入し、DREAMSEEKER STUDIOと命名した。(当時はハードディスクレコーダー、コンピューターやPro Toolsやなんてなかった時代です)

バンド仲間や、なんだかただでデモテープを録音してくれるらしいという噂を聞いた人たちが訪れ、仕事が休みの日はいつも何かしら録音をしていた。

そうこうしているうちに、バンド活動や録音三昧の日々に先行き不安を感じたのか、大学時代から付き合っていた彼女が去っていってしまった。(もともと音楽がそんなに好きという娘じゃなかったし、)あたりまえだよね。

一人になり、夕方とか、テレビで再放送をやっているドラマを良く見た。

「ハーフポテトな僕たち」をやっていた。

その番組に出ている女の子がレコードを出したらしいと聞いて枚方駅前にある蔦谷レコード枚方店にLPレコードをレンタルしに行った。(蔦谷レコード枚方店って蔦谷書店1号店って本当?)

それが、「今井美樹」のファーストアルバム、「femme」だった。

透明で爽やかな歌声は、現在の凛とした強さのかわりにその年齢にしか存在しない切なさを正直に伝えるものだった。

アルバムの最後の曲である「切なさの向こう側」は、落ち込みがちな当時の自分をとても勇気づけてくれた。

後日、当時のバンド仲間だった放送作家の倉本美津留くんが、「ヤンタンの今井美樹のさよならパーティーあるから来えへん?」と誘ってくれた。

「めっちゃええ性格の子やで」と絶賛していた。

行かなかった。
(行けばよかった!!)

時は流れて、布袋さんがプロデュースする頃から今井美樹の新譜を買わなくなってしまった。

なにかしら嫉妬のようなものもあったかも、、、

先日、DVD DREAM TOUR FINAL AT BUDOKAN 2004を見た。

大好きなギタリスト、今剛と楽しそうにステージに立つ布袋さんは、正直いって感動モノだった。

「今井美樹」最近のCDも聴いてみようと思った。


2006/02/08