中学から、二十歳になる頃まで、幼なじみの何人かでバンドをやっていた。
郷里出身のミュージシャンに、NSPなんかがいて、ポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)に出たり、春や夏の休みにコンサートを開いたりした。
最初は「あまりりす」という名前で、後に「歌呼奴」(かあど)と改名した僕らのグループはフュージョンミュージックをバックに歌はフォークソングといったジャンルの音楽をやっていた。
とある縁で、とにかくシングル盤を出そうという事になり、千駄ヶ谷にあるビクターのスタジオでレコーディングする事になった。
16チャンのマルチが置いてあった一番大きなスタジオで、朝から録音を始めて、大急ぎで2曲録音した。
地方出身で、デビューもしていない僕たちだったので、A面、B面の2曲を何日もかけて録音するといった余裕なんてなかった。
スタジオに入る前に念入りにリハーサルしていたのだが、結局修了したのは予定より2時間遅れだった。
僕たちの録音が長引いたので、僕たちの次にレコーディングするバンドのメンバー何人かが結構、いらいらして待っていた。
その人達こそ、T・バードの人達で、プロデューサーとして、スタジオミュージシャンの今剛さんも一緒に来ていた。
僕達が録音した後に、同じスタジオで録音されたT・バードの曲は、「心だけ少年」という曲だった。
その曲を聴くと、僕たちのバンドのレコーディングのことや、当時の事なんかを思い出す。
確か、あれも早春ごろの季節ではなかったっけ?
レコーディングのあと、僕たちのバンド「歌呼奴」は結局デビューしなかった。
僕は大阪の大学でやっている別のバンドが忙しくなり、あまり郷里には帰れなくなった。
T・バードは、その後、大阪のサンケイホールでブレッド&バターとのジョイントコンサートを見に行ったのを憶えている。
そして、パンタさんのバックしてたのを梅田のバーボンハウスでも見た。
結構好きなバンドだった。
春先の卒業シーズンになると、いつもT・バードのレコードを聴きたくなってしまう。
「あの頃のまま、心だけ少年、、」というリフレインをヘッドホンステレオで聴きながら、会社までの多摩川ぞいの道路を自転車で走る今日この頃です。
2007/02/09
