心だけ少年

9 2月

中学から、二十歳になる頃まで、幼なじみの何人かでバンドをやっていた。

郷里出身のミュージシャンに、NSPなんかがいて、ポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)に出たり、春や夏の休みにコンサートを開いたりした。

最初は「あまりりす」という名前で、後に「歌呼奴」(かあど)と改名した僕らのグループはフュージョンミュージックをバックに歌はフォークソングといったジャンルの音楽をやっていた。

とある縁で、とにかくシングル盤を出そうという事になり、千駄ヶ谷にあるビクターのスタジオでレコーディングする事になった。

16チャンのマルチが置いてあった一番大きなスタジオで、朝から録音を始めて、大急ぎで2曲録音した。

地方出身で、デビューもしていない僕たちだったので、A面、B面の2曲を何日もかけて録音するといった余裕なんてなかった。

スタジオに入る前に念入りにリハーサルしていたのだが、結局修了したのは予定より2時間遅れだった。

僕たちの録音が長引いたので、僕たちの次にレコーディングするバンドのメンバー何人かが結構、いらいらして待っていた。

その人達こそ、T・バードの人達で、プロデューサーとして、スタジオミュージシャンの今剛さんも一緒に来ていた。

僕達が録音した後に、同じスタジオで録音されたT・バードの曲は、「心だけ少年」という曲だった。

その曲を聴くと、僕たちのバンドのレコーディングのことや、当時の事なんかを思い出す。

確か、あれも早春ごろの季節ではなかったっけ?

レコーディングのあと、僕たちのバンド「歌呼奴」は結局デビューしなかった。

僕は大阪の大学でやっている別のバンドが忙しくなり、あまり郷里には帰れなくなった。

T・バードは、その後、大阪のサンケイホールでブレッド&バターとのジョイントコンサートを見に行ったのを憶えている。

そして、パンタさんのバックしてたのを梅田のバーボンハウスでも見た。

結構好きなバンドだった。

春先の卒業シーズンになると、いつもT・バードのレコードを聴きたくなってしまう。

「あの頃のまま、心だけ少年、、」というリフレインをヘッドホンステレオで聴きながら、会社までの多摩川ぞいの道路を自転車で走る今日この頃です。

2007/02/09